1 平成日本はお金の使わなさすぎで貧乏になった
例えば10億円を財政出動に消費すればその10億円は国民の懐に入る。10億円の財政出動を見送れば国民はその10億円を儲けそこなう。資本主義は誰かがお金を使えばそれが誰かの収入に繋がる。お金を使うのは誰でもいい。誰かがお金を使えばそれは誰かの収入になり経済は回っていく。平成に入ってからバブル崩壊と言う事件があった。地価の高騰を受けて借金をして不動産を買う人が増えた。借金がかえせなくとも値上がりした不動産を売却すれば借金が残ることはないという楽観主義が破綻して不動産が期待通りに上昇しなくなったのだ。そうすると不動産を手放しても借金が残る人が続出するようになった。経済活動が沈静化し火が消えたような状況になった。政府が国債を発行して財政出動で景気を下支えすると瞬く間に公的債務1000兆円を超えるようになった。これはお金を使い過ぎたということになるがデフレ経済はお金の使わなさすぎで起こる現象だ。お金の使い過ぎだからと言って歳出を減らすと景気が一段と落ち込むという悪循環に陥った。高度成長期は企業が借金をして投資をすすめて大きく成長することが出来た。バブル崩壊後は企業が慎重になり新しい投資より借金返済に努めるようになり政府が企業に代わって国債を発行して財政出動するようになり借金の担い手になってくれた。政府が1000兆円の国債を発行してくれたということは1000兆円を儲ける機会を国民に与えたということで悪いことではない。1000兆円の借金について「お金の使いすぎだから減らさなければならない」というのは間違いであった。デフレが続いているのだからもっとお金を使わなければならないという判断が正しかった。1000兆円をはるかに超える額に達しても自国通貨建ての国債が債務不履行になることはないとはよく言われていた事実である。もっと国債を増やしてもいいし、お札を刷ってもいい。なんらかの方法で早急にデフレを終わらせるべきであった。しかしながら「後世に借金を残すのか」と言う脅しに屈して、財政再建が必要とということにしてしまった。「もっとお金を使うべきであった」という正論に到達することなくずるずると不景気を続け、30年が経過してしまった。
政府が使わなさ過ぎた金額は1040兆円
2008年に米国でリーマン衝撃が起こった。これは経済学的にはバブル崩壊と同じ現象である。米国は日本のようにデフレに陥らないように3度に渡って260兆円を刷り市場に流し経済活動の低下を防いだ。その精で米国はデフレに落ちらずにわずかなGDPの落ち込みが観測できるだけに留めて順調に高度成長を続けている。バブル崩壊以来GDPが500兆円台前半から成長しなくなった日本とは大違いである。30年前のバブル崩壊の時にリーマン衝撃に対する米国の対処法と同じ対処法をして物価上昇率2%を維持するように経済を運営しておけば日本もデフレに落ち入らず高度成長を続けられたのではないかと考えるのは自然のことだ。30年前のバブル崩壊に際し150兆円を刷って経済の落ち込みに対処すべきであったとしよう。2008年のリーマン衝撃の時も日本政府は何もしなかったが小泉首相に円安政策で貿易依存度が高まっていたことと急激な円高で経済の落ち込みは大きかった。この時も日本は100兆円を刷って対処すべきであったとしよう。平成5年以降平成が終わるまで日本の物価上昇率はほぼゼロ%であったつまりデフレであったのに日本政府は一度もデフレギャップを埋め、デフレ脱却をしようという動きを見せなかった。本来ならデフレギャップを30兆円としてデフレ期間25年をかけて750兆円の財政出動をすべきだったとしよう。さらに平成年間に起こった二つの大地震による経済的落ち込みの補償に40兆円を加えて計1040兆円の財政出動をしておけば日本は米国と同じように物価上昇率2%の高度成長を続けられたのではないかと思う。そうすれば平成の終わりの経済規模はGDPで1500兆円を超えていたと考えられる。これは何も特別に難しいことを考えているのではない。普通に世間並みの成長を想定しているだけだ。
3 日本のGDPは500兆円台前半に抑えられた
平成年間を通して日本のGDPは殆ど増えていない。これを500兆円台前半に財務省によって抑えられたというと財務省はそんなつもりはなかったと異議を唱えるかもしれないが実績で言うと否定できるものではないだろう。これは基礎的財政収支の均衡をとる政策と3度の増税によってもたらされた。増税は消費を抑えたいときに行うべきで消費が減ったら困る時は国債発行かお札を刷って財源とするべきだ。デフレ脱却が国の課題と言われる中で3度も増税をするのは気違い沙汰だ。基礎的財政収支の均衡をとるというのも理解できない。日本は長期にわたってデフレが続いている。デフレの時は大幅に税収が少なくなっている。大幅に少なくなっている税収に合わせて支出しろと言うのは厳し過ぎる緊縮策になる。1995年~2015年の主要75か国のGDPの成長率を比較したデータがある。これによると日本は堂々の75位で唯一マイナス成長を記録している。平成の直前までは最優等生国家だった日本が平成になってから最劣等生国家になり下がった。こういうことは普通にはあり得ない。何か特別の力が働いたと思わなければ理解できない。反日勢力の工作の結果或いは見えない侵略と言う言葉でもいいかもしれない。何か特別のちからだ。中国側の要請を受け入れた結果なのかはたまた中国側の立場を忖度して自発的に日本側が経済の規模GDPを抑える政策をとったのかわからないが日本のGDPの大きさが30年の長期にわたって500兆円台前半に抑えられたのは事実である。 第2次安倍内閣が成立したときに日銀に年間80兆円を刷らせるようになった。お札を刷れば毎年80兆円が湧いて出てくるのだ。つまりお金が有り余っていると言える。しかしながら同時に財政再建路線を堅持するという矛盾した政策を続けた。既発行の国債を買うことに費やされたが借金返済に相当するのでGDPは殆ど増えなかった。国内で使うお金を増やさなければ景気は良くならないしデフレは終わらない。毎年刷っている80兆円は有効に生かされなかった。有効に生かそうと思えば防衛費3倍増に10兆円、月額3万円の基礎給付を国民全員に配るのに45兆円など確実に使われる形で支出すればいい。国債の代金として受け取る層は主に富裕層であるが金に困っていないので米国債などの購入に回り大幅な円安が実現した。日銀が刷ったお金が米国の景気を良くするために使われたのだ。お金に困っている貧困層、庶民に直接お金を渡さないと経済成長、デフレ脱却はできない。日本のGDPは安倍内閣の8年間の治世を通して500兆円台前半に据え置かれている形になっている。アベノミクスで500兆円以上のお金を増刷しながらGDPを全く成長させることが出来なかったとは異常と言える。平成の30年間でGDPの成長率はほぼ0%である。他の項目をみてみると対外純資産は為替により変動するが400兆円に達する。これはほぼ5%の成長率で伸びている。また大企業の内部留保は500兆円に達する。これも5%の成長率で伸びている。個人金融資産というのは2021年末で2000兆円に達する。これは30年で倍になっている。国民が1年間に使ったお金の総和であるGDPは増えていないが大企業の内部留保や対外純資産や個人金融資産なども着実に増えていることは象徴的である。国内総生産GDPだけが狙い撃ちされ500兆円台前半に抑えられたと考える以外にない。大企業の内部留保や対外純資産は殆ど富裕層の持ち物である。個人金融資産のうち貧困層のものはそれほど大きくはないだろう。GDPを30年間500兆円台前半に抑えることによって平均以下の収入しかない貧困層は急速に貧困化していったと想像される。
4 文化的なものが削られ生存に必要なものしか残らなくなる
平成日本を象徴するものとして「失われた10年」と言う言葉が使われたのは20年前で効果的な経済対策を打てないまま平成が終わり令和の時代を迎えた。平成日本を象徴することばとしては「国内総生産GDPが500兆円台前半に抑えられた時代」というとわかりやすい。「失われた10年」にはなぜ失われたのか理由が書いてないが後者の方は「なぜ失われた30年なのか」について原因と対策までわかるという意味で知的で分析的だ。GDPが500兆円台前半に抑えられると何かを増やそうと思えば何かを削らないといけない。昭和歌謡にはいいのがあるが平成歌謡にはいいものが生まれなかったとは言えないだろうか。画家なども暮らせなくなる。小説家もたくさん本を出すが収入は思ったほど増えない。大学の研究費なども削られやすい。GDPが500兆円台前半に抑えられているという条件の下で貧困層と富裕層が自由競争すると資産を持っている富裕層が有利で当然の現象として貧富の差が拡大する。結婚できない人も増えてくる。カラオケに行く回数が減り、外食の単価が下がり、回数が減ってくる。文化的なものは大衆に生活の余裕があって初めて支えられるがそうでなければ削られていく。